2010年8月19日木曜日

阿久根市の市長さんにリコール運動!?

たまには真面目な話

専決処分という手法で役人給料を切り捨てたことで有名な阿久根市市長の竹原さん。
ワイドショーやニュースではとても脚色されてキチガイ市長カラーで報道されてましたが、腐敗しきった市議は痺れを切らしてとうとうリコール署名まで始めたそうです。

そういえば記憶から消えようとしていますが、引っ越し!引っ越し!と絶叫連呼している映像がワイドショーで流れた奈良のあのおばさん、テレビでは過激な加害者という脚色でみな見てましたが、裁判の中で検察側が出した資料は、実はあのおばさんこそが被害者で、その結果おかしくなり、真の加害者はあの映像の中の被害者だったという事があり、マスコミの恐ろしさを感じた事件でしたが、今回の市長リコールも良く見ておかないと怖い事になりそうです。

東大阪もこういった行政の世直ししないとだめですよね~

さて、阿久根市について良く分かる経過が見れるものをコピペしておきます。
今後どうなるのか?どのマスコミが本当の事実を報道するのか見ものですね~




***********************以下転載**********************


ここ数ヶ月あらゆる動きがあった阿久根だが、一方的な悪意ある報道で全国的にさらに
竹原悪代官としての知名度は上がっているようだ。気まぐれにネット上のコメントなどを覗いてみた。
「民主主義を崩壊する独裁者だ!」「法治国家だ!法律を遵守せよ」
「公務員バッシングで人気取りしてるだけだ」「阿久根は独立国になれ!」などの声が後を絶たない。

じっくり考えて見て欲しい。阿久根のこれまでの問題の根源は、国家としてのそれにもそのままリンクする。
平成19年度の公務員の人件費総額は60兆円であり、国税収入42兆円を大幅に超えている。
http://d.hatena.ne.jp/boogierock/20090616/1245155772
それも天下りに伴う支出などは省いた数字だ。年々国の借金は増え続けているという異常な現実。
政治(家)というものが、真に国民全体を想う志と気概を持ち合わせていれば、年々改善の方向へ向って当然ではないのだろうか。

不思議ではないか。憲法の精神もそうだし、国家・地方公務員法でも“本来は”このような状態にならないような
基本原理が定められているにもかかわらずだ。
法律を運用する権力者の恣意的な解釈や都合の良いカラクリによって格差がこれほどまでに拡大してきたのである。
(人事院勧告の調査基準などが一番わかりやすいと思うが)
また大衆は議会制民主主義とか法治国家という表面的な言葉をまるで呪文のように連呼し、
そのことで政治の真の姿をさらに見えづらくし、自らそれ以上の思考を停止しているようにも感じる。

ただ、国がどうあれ、人事院がどうあれ、各自治体が主体となって自ずから適正化を図ることはもちろんできるのだ。
法律では公務員給与は職務の種類および複雑と責任の度合いに応じて種別が詳細に分類され、
それに基づいて給与準則等が実施されることになっている。(職階制)
「法律で」そう明文化されているのである。
この法律を本来の趣旨・目的に沿って遵守しようとしているのが、竹原市長ではないのか。
ところが、運用する当事者の公務員及び職員系多数派議員が組織的に抵抗しているため、
まともに勤務評定を行うこともなければ、条例改正などで自らメスをいれることもない。
公務員や労組の組織的な選挙運動なども含めて、誰も本格的に訴えないだけで、
いわば組織的に法律を犯している、あるいは意図的に法律を軽視しているのである。
税収20億の阿久根市の、市職員人件費だけで24億にのぼるという破滅的な現実をよく知りながらも、
職労系多数派議員はさらなる退職金の増額などは簡単に議会(という談合)で決めてしまう。
取引、損得、愛憎で賛否を請け負い、数の横暴でひた走る体制の独裁はこのままでよかったのだろうか。

市民には「職員の給与は国が別枠で出している」などと堂々と嘘の説明をしたり、
「市職員の給料で市内の購買力を増している」と完全に市民を見下した発言をしたり、
「職員のために働くならばわれわれも協力する」と新人議員に癒着の要請をしたり、
市民オンブズマンを脅迫したりなどなど、それまでの阿久根のどこに「民主主義」があったのだろうか。

市民の民意を最も反映させうるイベントに市長選挙がある。
不信任・失職後の市長選なら尚更、民意と公約は尊重されなければならない。
竹原市長は、人件費の削減や議員定数の削減による財政の正常化を公約の大きな柱として再選を果たしている。
それこそ民主的な議会であれば、特に2度目の当選以降は公約を重んじ、議会に望むべきだろう。
しかし、議会では市長の公約を実現させまいと政策をことごとく握りつぶしてきた。
最初から議論も何もないのである。(マスコミと結託して竹原を落とすことだけ)
通常であれば、またもや市長と議会は完全な不信任の関係であり、議会がまともに機能しないのだから、
議会は不信任案を決議し、再度民意を問うのが最低限の「民主主義」だろう。
ところが、議会解散による議員選挙だけは避けたいというご都合主義であるため、なんと不信任案は否決した。
市政改革は遅々として進まず、時間だけが過ぎていくだけのすばらしい議会制民主主義だ。
市長選挙なんて要らないのと同じである。
選挙という就職活動の時期だけは、地縁・血縁を中心に市民に歯の浮くような台詞で歩み寄り、
その後は自分の保身でしか行動できない2枚舌の議員なんて何人集まろうと要らないのだ。

市長にはそれでも市民より託された公約を果たす使命がある。やむを得ずの手法が議会なしの専決処分だ。
最初よくわからなかったが、「議会が機能しない場合の措置」としては法的にも認められている処分だという。
今後議会の承認などでどう動くかは不明だが、【法律は道理を通すための道具でしかない】という市長の信念は
さすがにブレていない。形骸化した常識にメスを入れ、誰も思いつかないような法律の穴を逆に市民の為に利用している。

いまや全国の職労系議員の広報係であるマスコミは、次期議会が決定している今でさえ、
「議会も開かず専決処分を繰り返している市長は・・・」と何度も繰り返し、
すでに法律違反が決定している悪の権化のようなイメージをお茶の間に擦り付けているのがみえみえである。
自己保身にひた走る議員連中の数々の妨害の中、真っ直ぐに市民との約束に向かう姿を
「市長の暴走」とすりかえているのである。

市長の暴走を止めよう???
真逆だろう。 職員系多数派議員の暴走を市長が一人で止めている。

自治労とマスコミが結託した戦略的ワイドショーにそのまま踊らされている人数知れず。
国を、地方を、そして真の民主主義を崩壊させているのはマスコミと言っても過言ではないだろう。
今現在、それこそ社会科の教科書で習うような真の民主主義や法治主義がどこにあるのか、
"信じたい”気持ちは理解できるが、そろそろ幻想から覚めるべきだろう。
阿久根は特別で、自分の住む街はまともだと思っている人がかなりの数にのぼると見受けるが、
そこが一番の日本の病巣だと思えてならない。

市長の独特な個性の賛否などはともかく、
まずは市長のブログを(できれば議員時代のころから)阿久根市民になったつもりで、
あるいは自分の街の事として目を通してみてほしいと切に思う。

2 件のコメント:

  1. まさにそのとうり。

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  2. みちゃんさん コメントありがとうございます。
    公務員全てとは言いませんが、本当に狂ってますよね。
    第2の夕張になって初めて事の重大さに気付くんでしょうね。

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