2010年2月20日土曜日

ソロツー2日目 (帰ってきました!)

さて、昨日の続きです。

焼酎プレゼント実施中!20日まで!!
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今日は朝6時に起きて、例の露天風呂に行こうとしたのですが、久々の暖かい布団で寝坊してしまい、7時半に屋上の露天風呂「天空風呂」へ行きました。


みてーこの景色! しかも貸切!! 最高ー!!!


ちなみにこれが普通の大浴場。鞆の浦温泉は、単純弱放射能冷鉱泉という、あまり聞かない名前の泉質です。


昨日は暗くて写真が取れませんでしたが、上の写真が部屋の窓からの景色です。いいでしょ!

いいお風呂に入り、朝食に行きました。


朝食のバイキングはおかゆでした。ただのおかゆではなく4種類が用意されておりました。1号は五穀米のおかゆをチョイス。おかずも魚あり野菜ありでなかなかのもんです。朝食なのに結構いろんな種類がありました。1号は朝食後コーヒー3杯飲んでくつろいでおりました。


さてさて、昼ごはんは尾道に行ってラーメンでも食べようと思いましたが、エレベータにこのようなものがありました。じゃぁ、鞆の浦の蕎麦にしようか。


それと、昼まではなーんも考えてなかったんですが、ここのホテルでは300円で鞆の浦のお散歩ガイドをやってくれるとのことで、これにも参加することにしました。

チェックインを終え、お散歩ガイドまで1時間ほどあったので、ちょっとバイクで周辺を走ろうと思いました。それにしても、改めてこのホテルの宿泊代が5,250円は驚きです。


ところで、サイドケースを取り付けるときに、うちの会社の若い者から(そのうちブログに登場させます!)、「養生したほうがいいですよ」と言われました。以前調べたらしく、そのまま付けるとカウルが傷だらけになるそうな。で、写真のように養生テープを貼っております。帰ってからバッグを見ると、バッグにすれた跡が残っておりました。養生しておいてほんま良かったです。

周辺ツーリングの写真を3枚紹介します。素晴らしい!




このままでは、自分の写真が無いまま終わってしまいます。誰かに撮ってもらってもよかったんですが、どうせならと堤防にデジカメ置いてディレータイマーでカシャ!


だいぶ調子こいております。

さてさて、集合時間になり、ホテルのロビーに集まり、ガイドの始まりです。

昨日のブログでも書いたとおり、あちこちにやたらと雛人形がありましたが、この町では「ひな祭り」は大きなイベントのようです。田舎ってみんなこんなんかなぁ?初めにガイドさんはひな人形についていろいろ解説してくれました。


上の写真は、「御殿式」と呼ばれるもので昭和30年代まではこうだったそうな。この写真を見て、おや?と気づく人は多いと思います(私は男兄弟でしたので気がつきませんでした)。そう、男雛と女雛が逆なんですね。なんでも昭和天皇が西洋式に合わせるようになってから、男雛が左で女雛が右になったそうな。この町では昔の置き方をするそうな。そのほかにいろいろ教えてくれました。


ホテルの隣の建物ですが、ここで頼山陽という人がここの景色を見て作った四字熟語だそうな。写真に写ってる人が、ガイドをしてくれた「釜谷さん」です。お世話になりました。ありがとうございます。


ガイドさんのお気に入りの場所で、黄色い家は昔は料亭だったそうな。今は前にホテルがありますが、ホテルのある場所は埋立地で昔はなかったので、この料亭から絶景がみれたそうな。当時は大変贅沢な場所だったんでしょうね。

鞆の浦は大変歴史のある街で、万葉集にも「鞆浦」の名前が出てくるそうな。建造物も古いものが多く残っており、上の写真もそうですが、映画のロケ地として多く使われているそうです。




上の3つの写真は、江戸時代に「漁網」を製造販売するお店だったそうです。中に大きな蔵があり、当時この町は大変活気のある町だったそうです。そういえば、この鞆の浦に来るまでの道には、たくさんの鉄工所がありました。造船など海にかかわる工業が盛んな町でもあるんですね。


坂本龍馬の雇船「いろは丸」と紀州藩の船「明光丸」が衝突し、「いろは丸」が沈没後に、示談交渉された場所だそうです。最近きれいにされたそうですが、一般募金を募る中、宮崎駿氏が好意によりステンドガラスをデザインされたそうです。


鞆の港。今から200年前(1811年)に築かれた港で、当時の姿を殆どそのまま残しているそうです。手前の石の階段は、潮の干満に関係なく荷物の積み下ろしができるようにするためのものらしいです。見にくいですが、写真奥の防波堤も一部は当時のままのものがあるそうで、台風が来ても、壊れるのは現代のコンクリートのほうで、石で築いた防波堤は壊れないそうです。昔の人ってすごいですね。




この町には、薬用酒の酒蔵が沢山あります。なんでも、江戸幕府はこの酒をこの地でのみ独占的に製造販売することが許されていたらしく、写真にもあるように「保命酒」が有名です。江戸幕府が滅びた後は、独占できなくなり、後に「養命酒」など多くの種類ができました。



最後に、「いろは丸」展示館の前へ。お散歩ガイドでは中に入りませんでしたが、この後入りました。福山雅治扮する坂本龍馬の鉛筆画が非常に印象的でした。


この写真の真ん中よりちょっと左の、崖の上あたりに家があると思いますが、ここで数年前、宮崎駿氏が3ヶ月ほど滞在したそうです。地元の人は「何してるんやろう」と思っていたらしいですが、後にあのアニメ映画が世に出てきたそうな。写真の家も崖の上にありますよね。

お散歩ガイドも終わり、腹が減ってきたところで蕎麦を食べに行きました。これも同じホテル内です。


例の豆腐があります。蕎麦はおいしかったんですが、この地の味でしょうか、昨日の食事を含め、少々塩分が濃い目です。そういえば、今でさえ減塩に慣れてますが、昔の田舎って塩分濃かった気がします。そんな味です。でも、塩は地元のもので大変おいしいです。


ホテルの前で、おじさんがトンビに「かっぱえびせん」をばら撒いておりました。

さてさて、帰りのお土産を物色するため、海鮮市場にでも出向こうかとホテルのカウンターで聞くと、あんまり良い返事が返ってきませんでした。


それもそのはず、確かに漁船は沢山止まってますが、この町には市場がありません。しかも非常に小さな町です。従って、写真のように地元の人が細々とやっている青空市場や小さな商店しかありません。魚は鯛や太刀魚、なまこなどありましたが、今回の土産にはふさわしくありません。1号は、広島ゆうたら牡蠣じゃろ、と決めてましたが、そんなもの1つもありません。これは困った!

仕方が無い、昨日の場所に行くかぁ・・・。そう、昨日夕方に寄った「寄島」には、牡蠣の看板がいくつかありました。それと、道がきれいだったのでもう一回走ってみたかったのもありますが・・・。

どう見て、この道を!



牡蠣の直売所を発見。当に海の前で取りたてほやほや。


2号同様、1号も発砲スチロール製パニアケースを装着。いざ東大阪へ。

山陽道に入り、超高速でぶぃぃぃーん。快調に走るも、メータ上にびっくりマークが! なんかおかしなったんか?一瞬凍りつくも、そういやぁガソリン入れてなかったわ。じゃぁ次のSAは・・・。

げっ、今通過中やん・・・・。

ぴーんち。折角のETC休日割引も途中で降りたら意味無いじゃ~ん。ここから走行可能距離とナビのにらめっこ。次のサービスエリアを調べると・・・。 約10km余る・・・。いける、いけるぞ~。経済走行にチェンジ! x20km/h巡航からx60km/h巡航にスピードを変えて、祈る気持ちで走行。


ま、間に合った。残すところ11km。計算ぴったり。

ここから、水を得た魚のように復活し、東大阪に到着。「ポレポレ」に牡蠣を預け、事務所に戻る。で、今ブログを書いてます。

今回、過去の思い出から、ふと「鞆の浦」を思い出して行ってみましたが、こんなにいい場所だとは思いもよりませんでした。皆さんも是非行ってみてください! ちなみに、ホテルで「基地外ブログ見てここに来ました!」といってください。たぶん「何ですかそれ」って返事が返ってきます。

もうすぐ「ポレポレ」集合時間。じゃぁ、生牡蠣食べに行きますか!

2 件のコメント:

  1. 牡蠣 美味しかった~
    御馳走様!!
    しかし、ええツーリングやね~
    もうすこーし暖かくなったら3馬鹿で行きましょう。
    あ!そうそう 3月28日はねこ部長に会いに名古屋ですから1号も3号も予定空けておくように!
    っていうか、前日はバイクでキャンプです。
    テントは3人とも大丈夫やから1号と3号はマットだけやな。
    いやー 楽しくなってきたな~

    まだまだ楽しみますよ~

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  2. 朝日キレイですね~~!
    牡蠣めっちゃんこ美味しかった!ご馳走様でした!!

    焼酎ほしい!!!!

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